偶然の連なりで、親族のマドンナ三人が、お参りにきてくれました。
楽しいはずの萩のツアーが、一転忌明けのお参り旅行となりました。
ずいぶん前から、旅行の希望を聞いていたのですが、
病状を詳しく伝えるわけにもいかず、
まして人の寿命など誰にも分かりません。
滅入っていた気持ちを取り払うかの様に、
つぎつぎ笑い飛ばして、問題を解決してくれました。
やはり血を分けた親族はありがたいなと感じました。
私の父母のお参りと、過って住んでいた家のあと、彼女が一時住んでいた家の前、
私の父母を送り出した家、私の店と、楽しい会話が弾みながら、一日が終わりました。
四日間の実家のお墓参りから帰ってきた相方とホテルで合流したあと、
独身にさよならして家でくつろいでいます。
ほんの一ヶ月で12年も頭を悩ませていた懸案から開放されました。
こんなことも生きていれば味わえるんだと、
父母のお墓に手を合わせました。
夏みかんの花が一斉に咲き始めています。
つんとする、甘い香りが空気を清らかに感じさせます。
マドンナ三人とこれから三日間学生時代に戻れます。
なんてしあわせな時間なんでしょうか。
♪♪ らいく・あばーじん
らいくあばーじん ♪♪
幼馴染からもらう手紙やメールを読む時は、文面とその人そのものに違和感はありません。
いつのまにか、本人が私に語りかけているように錯覚しています。
反面、その人を身近に観察できるのに、手紙やブログをみて、
そのギャップに驚きを感じることは、一度や二度ではありません。
それが他人ならまだしも、家族のうちにも、普段やりとりしないハガキや手紙に、
思わずその文面に釘付けになることもあります。
楽しみにしていて、しばらく中断されていたブログが再開されました。
相変わらず闊達で一瞬で私を虜にします。
もって生まれた文才なのか、はたまた外見とはまったく違う人なのか定かではありませんが、
私にはどちらでも構いません。
同じように恩師の書く短歌に、すさまじいほどの感情の激しさを感じて、
歌集を読むたびその先生の姿がいつのまにか与謝野晶子になって、
自転車に乗り、口ずさみながら私の前を通り過ぎているような気がします。
愛することや、悲しむことに、こんなに激しく感情を込めて生きていけたら・・・
先生は何事もなかったように、静かに微笑んでペダルをこいで去っていきました。
内面と外面、こころとからだ、私自身を含めて、
どちらを信じていいのか悩んだことも、たくさんありますから、
きっと誰でも「共命鳥」のようにしか生きられないのかも知れません。
人をひきつけて止まない文才には、
素直に、無抵抗でその世界に遊ぶことの出来る喜びを感じます。
またひとつ、楽しみが増えました。
忌明けの法事で親戚の子供達を宇部空港まで迎えに来ました。
なんだかいい夕日です。
身体に力が充填されるのを感じました。


三階のデッキに上がってみました。
しみじみ見ると結構いけてます。宇部空港。
子供を乗せて何年ぶりかで、身内の話が続きます。
こんなウキウキするような気持ちになれるのなら、法事ではなくて、
もっと楽しい機会にしたかったな、なんて思っていました。
一夜明けてお寺の庭にこんな人がいらっしゃいました。
親鸞聖人の若い時だそうです。
どっかで見たことがあるような・・・
まっいいか。そのうち思い出せば・・・
最後の法話に和尚さんはご浄土にいる「共命鳥」の話を、
残された二人の男の子にされました。
身体がひとつで、頭がふたつの「共命鳥」は、もう一方の鳥さえ居なければと、毒を盛りました。
すぐに毒が廻り、一方の鳥は死にました。
しめしめと思った矢先、毒が身体を一にする自分の身体に廻ってきました。
死ぬ間際、「しまった。」と後悔したそうです。
・
「私の一番の過ちをふたたびくり返さないでほしい・・・」
涙を落としながらふたりはじっと聞いてくれました。
・
いつでも自分のした事が、悪かったと気がつけば、
ご浄土に行けるから・・・
と、話を締めくくられました。
親鸞聖人の像に「光を信じて」と題されていました。
昨日の夕日を思い出しながら、
私の胸に手を当てて、
いろんなことを思い出しながら、
ちょっとだけ反省しました。
結構さわやかな反省でした。
反省!!
(猿でも反省しますって、周防の国の猿回しが言ってました。)
毎年の事ながら、4日間独身になります。
相方の両親のお墓参りと、姉妹での小旅行の為なのですが、
今年は私自身の法事と同じ日に重なりました。
別々のところに出掛けることになりました。
町内会、漁協に交通安全協会に、観光協会、県の協会、商工会議所、
いったい身体がいくつあったらいいんだろうと思います。
友人はみんな断れといいます。
もっとも彼は55才を待たずに仕事を断りましたが・・・
・
・
・
断、ことわる、捨、すてる、離、はなれる。
私に出来ることならと、お誘いがあれば関わってきましたが、
いつの間にか出稼ぎの多さで、仲間の方に迷惑をかけています。
ひとつずつ整理しなくてはとこの時期になると反省しています。
少し前なら、一晩中飲み歩いていました。
いまでは私生活だけではなく、出稼ぎも、仕事の量も加減して、
「断捨離」せざるを得なくなっています。
私自身が捨てられる前に、
貴重な独身の夜に、ひとり冷静に考えないといけません。
あ゛~いつのまにかとしとったな~
(浦島太郎か?)
いずれ誰でも毎日独身の夜が続くんですけど・・・
所属する漁協の賦課金(年会費)を集めに、
市内の知らない町内を歩きました。
役員の方からあらかじめプリントされた、住宅地図のコピーを頼りに、
一軒一軒探していると、表札がありません。
コンクリートの門柱をえぐったように、埋め込みの表札が取り除かれたり、
玄関の木の表札も、牛乳入れや、新聞受けの名前が消してあります。
あれれ~ここも、此処も、ここもか~
石のつくばいもある立派な庭付きや、屋根の甍に鬼が乗っかっている家、
どこから見ても手入れが行き届いているのに、表札の無い家、
荒れ放題で草がぼうぼう、見るからに廃屋もありました。
過ってはご商売されていた名残の倉庫がきれいに片付けられ、
ちっちゃな補助輪のついた自転車の置き場になっていたり、
廃業前の看板の字が消えかかっていたり・・・
過疎化が進んでいる現実を見せ付けられました。
夕方近く小腹が減って、たい焼きが食べたくなりました。
お店に駐車場が無いため隣の広い空き地に止めて、買い物の帰り際、
土地のオーナーにお礼を述べると、
ここもずっと長いこと空家だったために、
ひょんないきさつで駐車場になったとのことでした。
「どこもいっしょだろ~田舎はみんな同じだよ。」
アーケードの商店街ばかりがひと気がなくなったわけではなくて、
近所の住宅からも人影が消え、
そこに巣作りするツバメもいなくなりました。
私達を取り囲む「負の連鎖」は、
否応なく、生活の生態系を変えています。
工藤静香さんの理想のおばあちゃん、
ローリング・ストーンズのサティスファクションを聴きながら、臨終の時を迎える、
元気な老人で田舎があふれることを夢見ています。
♪♪ さてぃすふぁくしょん~
さてぃすふぁくしょん~ ♪♪
32年間、好き勝手に商売をやってきて、
この頃の時代の変化に、ちょっとだけ快感を感じています。
大きく時代が動く時、身体の大きいものほど淘汰されていきます。
私達が青春の真っ只中の時に、巨人といわれた企業ほど、
四苦八苦した挙句、向う先が分からず、
リストラの荒波の中、外国の企業の応援を頼んでいます。
それに比べると、私達はほとんど開業以来変わりません。
バブルで有頂天にもならなかった代わり、
昨年の大震災の影響も、幸いにもほとんどありませんでした。
考えてみると、その日の食事が出来るほどしか稼げなかったともいえるし、
出来るだけの全力投球でここまできたとも、思えます。
いつでもいっぱい、いっぱいだったなあ・・・と思えます。
大きさに関係なく、
無事に人生が終えられればよしとするなら、
これから先も、小さいだけに、変化に強く、
すばやく順応することが可能です。
そんなことを考えていると、
小さくて良かったなあと思えて、
逆転の発想を可能にする人生がちゃんと用意されていたことが、
ほんわか嬉しく心に滲みてきます。
ハイ! そろそろ 出番です。
昨日の夜、「萩焼まつり」を手伝っていただいた10名で、
知人の経営するお店で、打ち上げをしました。
今回初めて参加してくれた、萩福祉大学の学生さんの新メンバーも加わり、
19才から71才と年齢の幅がぐんと拡がり、賑やかでした。
2次会、3次会と続き、「午前4時までは付き合うよ。」と約束していたのですが、
朝から晩まで、頭の下がるほどバイトしている学生さんが先にダウンして、
午前3時にお開きになりました。
とても働き者ばかりのスタッフに、お尻をたたかれながらのお祭りは、
終わってみれば2才から施設で育ったという子供達に、
「親の役目とは何か」を問われた一週間でした。
四人の学生さんは、礼儀正しく、快活で、皆働くことに喜びを感じながら、
職場の雰囲気を明るく変えてくれました。
売り上げの数字より、来てくれたことに感謝する、「萩焼まつり」の打ち上げでした。
ようやくお酒の匂いから開放されて、
晴れた西の浜に夕日を見に行きました。

誰にも気付かれず、海岸の浸食が進んでいます。
過っての防砂林も半分以上海に引きずり込まれています。
残りの松も塩害で枯れてしまいそうです。

人の営みをどんな気持ちで見守っているのでしょうか。
片方で侵食が進み、片方で人が堆積した砂を運んでいきます。
当然砂浜は加速度的に小さく、深くなっていきます。
両親がちゃんと揃っていながらうまく子供を育てられないのに、
他人の中で育てられた子供達が、手本にしたいほど立派に育っていくのは、
どこか私達のやることがチグハグで、矛盾に満ちている証のような気がします。
自然に生きてあるもののように、
無駄の無いシンプルな生き方が出来れば・・・
きっと夕日を見るように輝けるのでは・・・
(やっぱり二日酔いかな~)
ようやく大勢のお客様から解放され、
朝から残務整理に終われました。
売り上げの結果を尋ねて、
ぽつぽつ知人がきてくれますが、
気の抜けたビールのようにボーッとして、
なんだかトンチンカンな会話になって、しゃんとしません。

ずっと前から咲いてたはずのエゴの木の花が、
空から落下傘のように、クルクル廻りながら落ちてきました。
あれほど好きだったエゴの木の花を、散り始めるまで気がつかないなんて・・・
独り身だった頃、九州に出張中に偶然山中で見つけ、
新種の山桜かなと思うほど清楚で美しい姿に、ひと目で好きになりました。
やがて相方にめぐり合い、
二人になり、三人になり、
子供をつれて千葉の市川市の「じゅんさい公園」で、
二度目のおめもじとなり、
四人になって、ふるさとの「田床山」で三度目に出会いました。
萩で六人で暮らし始めて、とうとう苗木を買ってきて、
どこに植えようかと思案しているうちに、
植木鉢のまま、現在の手水のつくばいの傍に、
勝手に根付いてしまいました。
今では二階の屋根を越すほどに成長して、
毎年くるくる真っ白な落下傘を見せてくれています。
図鑑を調べて、「エゴの木」ということが分かった時は、その名前に少々落胆しました。
ですが最近は、いろんな意味で納得しています。
自分の事だけに振り回されて、
自分の利だけを考える毎日に、
花を見るたび反省の日々なのですが、
見ようによっては一生懸命で、可愛く、美しいのかなと、
半ば自分自身に諦めと、愛おしさを感じるようになりました。
ゴールデン・ウィークの「エゴのかたまり」の残務整理に追われています。
眠い眼をこすりながら、早起きして一番先に会場入りしました。
次に来られたのは、団子屋さん、海鮮料理屋さん、
皆さん久し振りに晴れあがった天気に期待してか、
元気に準備にいそしんでおられます。
それに比べて、
私達は一回目の撤収です。
欲張りすぎて荷物が多いため、一度に撤収できないためです。
午後になっても、いまひとつ客足が増えず、
既にUターンへと関心が移っていたようです。
それでも沢山の友人に手伝っていただき、
いつもより早く撤収作業が済み、無事終了することが出来ました。
一休みして、友人からのメールに気付き、
またひとり同級生を失ったことを知らされました。
今日はスーパームーンという、
地球に月がもっとも近づく満月だそうです。
引力が一番弱くなっているのかも知れません。
風呂上りにゆっくりビールを開けて、
友の顔を思い出しながら、
月見をしようと思います。
夜風が気持ちよく、松陰大橋も春の霞に包まれて、
送り火のように心なしか寂しそうです。