白河の関を過ぎれば、そこには東北の澄んだ清新な空気が流れ始める・・・
とばかり思っていた、山形生まれの母を持つわたしは、
偶然隣り合わせた「白河以北」を看板にする若者と五日間一緒に仕事して、
己の出自を考えさせられてしまった。
戊辰戦争のあと、官軍であった薩長の人々が放った東北を侮蔑する言葉と若者に教わった。
仙台生まれの彼は、その悔しさを己に当てはめて、
生き方の指標にしていると言った。
山形弁に近い親しさを感じていたわたしは、
冷たい真水を頭から浴びせられたように、打ちのめされた。
萩の五ヶ所が世界遺産に登録されたと浮かれていた私には、
足元をすくわれたような気持ちがした。
「嫌な名前をつけるな…」と食ってかかる人もいた・・・
弁明する若者の姿がやるせなかった・・・
宿に帰って、東北の母と、山口の父に生まれて良かったと思い直した。
どちらの悲しさも理解できるのだから・・・
そして、どちらのふるさとも無条件で好きでいられるのだから。
理屈はどんなにでも弁明できても、
好きになるのに理屈は不要だ、
と中学生の頃から確信しているわたしには、
それ以上のものは必要ないのだから・・・
仙台の一番の出稼ぎの収穫だったと思うと、
打ち上げのいっぱいのビールのおいしかったこと・・・
まだまだ止められそうにないなあ・・・